その人に名前は無かった。
初恋の虚像
「わ〜い、長次の負け!」
「うっ………」
「よっし!約束は守れよー、長次」
「あーあー、よりによって今回負けるなんてついてないね」
「伊作に言われたんじゃおしまいだな」
「それにしても…」
他愛のない賭け事。
しかし賭け事といってもお金を賭けるわけにはいかないので賭けるのは罰。故に六人の顔は真剣そのものだ。
最初はまだ軽いものだったが勝負が重なるにつれて難易度、とでもいうか罰の質は上がっていった。
かくして真剣勝負の末、今回負けたのは長次。
そして、今回の罰は───初恋の人の名前を言うこと、だった。
だがしかしにわかに色めきたつ五人に対し、長次はこう言い放った。
「…悪いが…名前は言えない……」
「えええー?なんでずるいよー?」
「……違う……」
違う、という言葉に長次の意を汲み取ったのか仙蔵が反応する。
「もしかして言わないんじゃなくて、言えないんじゃないのか?」
「……………」
沈黙は肯定を示していた。
それは少し昔の話であるので、彼はそれ相応に未熟であった。
そして彼女もまた。
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二年程前のある日。穏やかな太陽とやわらかい風が春の訪れを予告する頃。
うっかりとして学園長に面倒なお使いを頼まれてしまった長次はやっとそれを終え、学園への帰路についているところだった。
「………」
別に疲れたわけではないのだが、これから学園までかなり距離がある上に山道を行かなくてはならない。
しかし長次は、どこかで休憩を取ることもなく寄り道をすることもなくまっすぐに帰るのだった。
山中。
絹を裂くような女の短い悲鳴で、長次はハッとした。さほど大きな声ではないにしろ静かな山だ、よく聞こえる。
「(どこだ…?)」
とっさに辺りを見回すがそれらしき人影はない。思わず長次はその声が聞こえたと思しき方向へと足を進めた。
と、木の前に立っている一人の武装した男と──男の影になってよくは見えないが──おそらくその木にもたれかかるようにして座りこんでいる桜色の着物が目に映った。とっさに身を潜めて様子を伺う。
「この女…!手間かけさせやがって!覚悟はできてんだろうな、あー?」
「……」
「まあ、焦ることもねえか。へへへ…」
「……………」
どこからどう見ても──悪漢に襲われそうになっている若い娘の図、である。
どうも男は山賊の類には見えないので何者かは測りかねるが、娘の身が危険なのは間違いない。
「まあせいぜい…」
そう言って男が娘の肩に手をかけようとした時。
「…離れろ」
「あぁ!?」
「!」
低いがそれ故によく通る声が響く。男と娘がそれに反応して振り向いた。
長次はゆっくりと適当な距離まで歩み寄った。
「あぁなんだてめぇ!?殺されてえのか!」
「…………その人から離れろ」
通りすがりだと答えておくべきだろうかと一瞬思ったが、そういう状況でもないかもしれないと思い長次は一切の相手の言葉を無視した。
「どうやら身ぐるみはがされたいらしいな…」
男がこちらに向かって武器を向けてくる。口頭注意は失敗のようだ。それがだめなら。長次は懐に手を入れた。
「…………」
カッ。
長次が何か取り出したかと思った次の瞬間、武器を構えた男の後ろの木にいい音をたてて何かが刺さっていた。長次の得意武器、縄標である。
縄標は男の耳元を通過していたから、それが風を切る音が彼にはよく聞こえただろう。
「な…?」
何が起こったのかよくわかっていない男を尻目に、長次は手早く縄標を回収する。そして頭上で小さく円を描くように回した。
「こ、こいつ…!」
驚きつつも姿勢を崩さない男に対し、長次は次は当てるつもりだが構わないかと目で訴えた。
「…く、くそっ!調子に乗るな!」
接近戦なら勝てると思ったのか、男は距離をつめようと長次の方へと向かってきた。威嚇も失敗のようだ。気は進まないがそれがだめなら。
「あ……」
少々の実力行使の後、娘は逃げていく男を目で追った後長次に向き直った。
「ありがとう…」
娘──少女と言うべきか女性と言うべきなのかは長次にはわからない──が立ち上がろうとして。
長次は慌てて内心恐る恐る手を差し出して、娘はためらいなくその大きな手を取って。
そうして立ち上がった娘は服に付いた土を払って乱れを直し、もう一度ありがとうと言って微笑んだ。
清楚な桜色の着物と、墨を流したような長い黒髪が眩しかった。
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「…………で?」
「…なんというか、ありがちというか、長次らしいというか」
「へぇ〜長次は年上が好きなんだ〜」
「いや……別に……」
「そういう場合は助けられた方が惚れるのが普通じゃねぇのかよ」
口々に勝手なことを言う一同。
「で?それからどうしたの?」
「あんまり聞いてやるなよ」
興味津々、といった風情の小平太を食満がたしなめる。
その理由がよくわからない小平太に対し、伊作が引き継いで説明する。
「だから、そういう状況になってるのに今名前が言えないってことは…」
「長次のことだ。そのままろくに会話もできず名前も聞けねぇまま別れたんだろ」
「文次郎!」
「ええ〜!?そうなの、長次?」
「……………」
「…つくづく長次らしいな」
「よし!なら話も一段落ついたところで次の勝負開始!次最下位だった奴ぁな…」
そうしてまた全員に札を配り、次の勝負が始まる。長次が沈黙で嘘をついたのだとは誰も思わない。
ろくに会話もできず名前も聞けないまま別れただけ。
そう、そうなるはずだった。むしろそうであった方が良かったのかもしれない。
しかし現実には、その話には続きがあったのである。
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湿っぽい地面に届く木漏れ日と、風にざわめく木々の音が心地良い。
その後、向かう方向が偶然同じだったらしく二人は並んで歩いていた。
会話はなかった。まず第一に娘が話しかけてこなかったし、長次もまたこういう時の気の利いた会話など持ち合わせているはずもなかったからである。
長次がそれより気になるのは、娘の様子だった。つまらない思いをしているとかそういう話ではなく、どこか張り詰めているような、周りを警戒しているような様子なのである。もちろんあんなことがあった後なのだから無理もないし、先程の男が戻ってくることを恐れているのかもしれない。
しかし、何か違うような…。
「……大丈夫ですか」
「え?」
思わず口に出していた。
「私そんなに変な顔してた?」
「……緊張しているように見えました」
思っていたより口が回る自分に長次が驚いていると、娘は微笑んで言った。
「年頃の娘が男の子と二人で歩くのに、緊張したら悪いかしら?」
「っ……」
うまくはぐらかされたのだと長次が気付くのは、まだ少し先である。
そして後方の黒い影にも、長次が気付くことはない。
そうこうしているうちに道が別れるところまで来てしまった。
このまま山を行き続ければそこは学園の土地であり、山を降りれば町に出る。
「……俺は向こうですので」
「あら、偶然ね。私も向こうなの」
「…………」
これには流石の長次も驚く。ちなみにこの先の土地は学園の土地といっても普通の土地ではない、危険な罠等が大量に仕掛けてある土地なのだ。
…ということはくの一教室の生徒だろうか。いや、それなら先程の男達に追い詰められる前になんとかできたであろうし、年齢的にも彼女は十五歳よりは少し年上に思える。
そう考えていると突然、彼女は耳元に口を寄せ囁いた。
「私は大丈夫。お願い、一緒に学園に向かって」
心臓が高鳴らなかったと言えば嘘になる。しかしそんな状態になりながらも長次は冷静に考えた。そう私は大丈夫、ということはこの先に罠があることは知っているということだ。長次は迷った末──娘の目を見てから歩き出した。
二人がしばらく歩くと、黒い影がそれを追って、別の黒い影とぶつかりそして消えた。
「……もう、いいでしょう」
罠を一つも働かせることなく、学園の塀近くまで二人は辿り着いた。
「……………」
もの言いたげな長次に、娘は申し訳なさそうに言う。
「巻き込んでしまってごめんなさいね…中在家長次くん。私は…ああ、そういえばまだこの子名前が無かったわ…とっさに逃げたから付けてなかった」
「……………」
長次は理解してしまった。彼女が名乗っていない自分の名を知っている訳も、彼女にまだ名前が無い訳も。
そして彼女は近くの木の陰に隠れ…現れた。一瞬前とは違う姿になって。
「……………」
「くの一に年齢はないと言っても…流石にちょっと若作りだったかしら?」
そう言って忍術学園くの一教室教師──山本シナはは少し恥ずかしそうに手を顔に添えて笑った。
あとがき
なんかもういろいろとこれどうなんだろう…///個人的に裏題は「誤爆」だったりします(笑)
えっとですね、実は昔とあるサイト様で長→シナの漫画を見ていいなぁと思ったんですよ。
しかし長次が何もなく自然にそういうことにはならないだろうと。
それにしても長次が惚れっぽすぎるとか前半がベタベタとか突っ込みどころ多いですね。